1. 聲の形
週刊少年マガジンで掲載されていた大今良時さんの同名漫画を原作とした映画。聴覚障がい者に対するいじめがテーマの一つになっていることから多くの反響を呼んだ原作で、全日本ろうあ連盟の協力も得たうえで連載されており、最終的には300万部以上を売り上げています。映画も興行収入23億円以上と好評で、この年の日本アカデミー賞と文化庁メディア芸術祭の該当部門でそれぞれ入賞を果たしています。
映画としては良い面が悪い面を大幅に上回っているという感想です。加えて、人物や物の動き、そして何より「音」が加わることで、聴覚障がいを描く作品として映画が原作を上回ったと感じました。
2. あらすじ
石田将也は活発な性格の小学6年生。日常をそこそこ面白く過ごしていたが、どこか退屈でもあった。
そんな時に将也のクラスに転校してきたのが西宮硝子。彼女は重い先天性の聴覚障がいを抱えており、声によるコミュニケーションを上手くとることができない人物だった。
最初はクラスも彼女を受け入れようとするが、次第に硝子を疎むことになり、結果的に酷いいじめへと発展してしまう。硝子が不登校になってしまった日、主犯格だった将也は学級裁判で共犯者たちに裏切られ、いじめの罪を一人で被ることになってしまう。そこから始まったのは将也へのいじめだった。
高校生になった将也はアルバイトを始め、自分でお金を稼ぐようになる。しかしある日、突然アルバイトを辞めて家を出てしまう。自分の行いを悔いていた将也は母親に養育費を返したうえで自殺しようと考えていたのだ。
死ぬ前に、最後に西宮に謝ろう。そう決意した将也は硝子が通う手話サークルに向かう。そこで出会ったのは当然、同じく高校生になった西宮硝子。独学で習得した手話で謝罪しようとする将也だが、硝子からは意外な反応が返ってきて......。
3. 感想
最序盤、学校におけるいじめ描写には特筆するべきものがあります。学校における障がい者へのいじめをここまで執拗に、リアルな形で描写した映画がこれまであったでしょうか。原作では第1巻をまるまるこのいじめ描写に使う力の入れようでしたが、映画も負けていません。物が潰れたり裂けたりする動きやその音、ノートが池に落ちるときの無情な水音と紙が濡れていく様子。どれも心を激しくかき乱されます。音や動きがあるという、漫画や小説とは違う映画ならではの良さが存分に出ていて、原作と同じく全体の中でここに時間(頁)を割いた山田監督はさすがですし、描写力も見事です。
続いてメインとなる高校編。原作でもそうなのですが、ここで小学校時代の友人たちと交流が始まるというところにややリアリティのなさがあります(高校生にもなれば小学校の頃の思い出など数ある記憶のうちの一つに過ぎず、目の前のこと、あるいは自分を大きく変えた/変えつつある一つ二つの転機の方が大事なはずです。ゆえに、西宮いじめ事件が全員にとって重要で高校生になっても意識されている、というのはややご都合主義展開である気もします)。ただ、あれだけのいじめ描写を入れたからこそ、最低限の説得力は持たせることができています。特に、いじめ事件が人生の転機となった(硝子のために手話を勉強することをクラスで宣言し、孤立、不登校になる)佐原みよこに最初に会いに行くという展開は説得力を底支えしています。佐原みよこにとっては間違いなく西宮硝子の登場こそ人生の最重要事件であり、佐原は硝子のその後を気にかけているはずだからです。小学校でいじめがあり、高校生になってからその関係者と連続で再会するというややリアリティのない流れは物語の上で仕方がないことですが、それをなんとかこなしているという印象でした。
そして佳境となるのが硝子の将也への告白(未遂)です。自分の「声」で告白しようとする硝子がいいですね。ここで恋愛感情の表現方法を健常者側に合わせさせることは賛否両論かもしれませんが、好きだからこそ、相手の世界に合わせたいという気持ちがあるということを考えればこちらの方が自然でしょう。普通に「好き」と言えば発音が悪くとも将也聞き返してくれるかもしれないところを、叫んで「好き」と言うことで「月」に聞こえてしまうのは切ないですね。このあたりも漫画と違い、実際に「叫んでいる」声が聞こえるために緊迫感が増しています。
その後、硝子の飛び降りからはクライマックスに向けて全速力です。元同級生との再会以降、最初はそこそこだった関係が次第に悪化し、ぎくしゃくし始めてきたことに自責の念を感じる硝子の選択が胸に迫ります。あくまで「障がい」を表に出すのではなく、自分の能力/性格/言動のせいでみんなが気まずくなったら責任を感じるという普遍的な感情にうまく障がいを絡めているのが良いと思いました。聴覚障がい者を存在まるごと「特別」なものにするのではなく、健常者も持っている普遍的な感情の波の中に、「聴覚障がい」という特異性が入るとどうなるのか、という描き方をすることで、非常に共感できる物語構成になっています。
そしてラストシーン、これは原作の終わり方よりも良かったと思います。原作はあまりに急ピッチで円満方向に物語が動いてしまい(特に、将也と硝子の母親同士が酒席において一コマで仲直りしてしまうのは修復や再生といった本作品の重要なテーマを傷つけています)良くなかったのですが、ラストシーンで「全員が自分の敵」という意識から将也が解放されるのは心地よい感動を与えてくれます。本作品で重要なのは、誰一人小学生の時から本質的な部分は変わっていないけれど、全員が、自分とは違う他人がいる世界、自分の思い通りにならない、理想じゃない世界を受け入れていくことに徐々に合意し始めるというところだと思います。川井さんの自己愛溢れる言動が象徴的ですが、植野や真柴の性格もなかなかのものです(ちなみにリアリティのあるキャラクター造形として植野を私は推します。こういった物語に植野的な人物を絡めるのは難しいと思うのですが、上手くやっています。ただ、将也が好きというのはちょっとやりすぎです)。また、ラストシーンにおける硝子と植野のやりとりは印象的ですね。硝子があのような態度を他人にとれるようになったのは、彼女の成長の証なのではないでしょうか。自分に自信がなければ、「バカ」の手話が間違ってるよ、なんて言えません。そして、人生はその方が面白いのです。
ややリアリティに欠く部分もありましたが、非常に良いテンポで話が進み、飽きさせません。展開の強引さも、後からよく考えれば、というものばかりで、視聴中は惹きこまれていました。京都アニメーション制作だけあって描写はとても綺麗で、将也視点時と硝子視点時で「音」の表現を変えるなど、非常に工夫が凝らされた作品でもあります(ただ、京アニがたまにやる過剰な光描写はやや食傷気味です)。また、物語の構成上、手話が何回も登場するのですが、手話を習ったことがない者にとっては理解できないことが多いです。ただ、文脈から感じることができますし、「登場人物同士が明らかに公開された形で会話をしているのに、視聴者にはそれが分からず、けれども登場人物同士には分かっている」という条件を上手く活かし、「なんでこんな行動をするんだろう、どうして笑ったんだろう」という小さな疑問を常に視聴者の胸に留めて目を離せなくさせるような工夫も多くあって驚かされます。同じ手話が繰り返されるため、終盤にはいくつかの手話を理解できるようになっており、徐々に「手話で会話する世界」が分かってくるところも常に新鮮な気持ちを抱かせてくれます。
そして、この作品については声優にも言及しておかなければならないでしょう。先天性聴覚障がいを抱えたヒロインの「声」は早見沙織さんが担当されています。息を飲むほど丹念にその話し方が再現されており、彼女の猛勉強ぶりが想像されます。もし声優に国民栄誉賞を与えるとしたら彼女が良いのではないでしょうか。「栄誉」とは、単に人気だったり、収益をあげた作品/人物に与えるものではないはずです(それどころか、そういった作品や人物は既に市場が栄誉さえ与えています)。金銭のようなものにはならないけれども、世間の耳目を自然には集めないけれども、我々の社会に尋常とは異なる方法で貢献した人物に与えられるべきもの、なにか強く称えられるべき行いが「栄誉」であるはずです。聴覚障がい者の「声」を真摯に再現するという行為そのものが「栄誉」に値するのではないでしょうか。
実に見ごたえのある作品で、みなさんに一度は見ていただきたいと思います。
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